13 熊本地震その2

 熊本地震が起こった翌週に都城から熊本に戻りました。すぐに戻らなかった理由は、熊本の職場の人からの情報では、水道・ガスが場所によっては使えない状況であること、余震が続いているので車中泊をしていることを聞いて、これは熊本に今言っても被災しに行くようなものだと思ったからですし、そもそも熊本に行くまでの道路や橋が地震によって損傷して物理的に行くことができなかったからです。

 いざ都城から熊本に戻るときは、途中まで高速道路を利用して八代で降りて、国道三号線を北上して熊本市の住所に戻ろうとしましたが、鹿児島・宮崎方面からの支援車両が多かったり、あちこち道路や橋の規制がされていたりいて、めちゃくちゃ渋滞していました。そして、映画で出てきそうな、地震によって建物がぺっしゃんこになっている光景が普通にありました。

 住所に何とか帰り着くと、皿が落ちて割れていたり、壁に大きなひびが入っていたり、水道は出るけれども、土砂が流入していたため飲めない、風呂に入ろうとしてもガスが使えないので、水シャワーで体を洗ったりと不便な生活を一定期間しました。

 出勤しても、職場の入っている建物の売店がやっていない、トイレの水が使えないとかありました。そして、仕事の内容も震災対応がメインとなって、破損した物品の搬出・修理など一定期間はそれまでは想定をしていなかったことが仕事になりました。もちろん、余震は続いていたわけですので、地下で作業をするときなんかは、「今、地震が起きたら、この建物がつぶれたら、生き埋めだな」と思いながら仕事をしたものです。

 人は、そういうある意味極限の状態に陥るとよくわからないことをするようになりまして、大きい余震が勤務時間中にあると、みんな揺れているときはじっとしているわけですけど、終わったら「ははは」、「ふふふ」というように各自笑い出すんです。なぜかはわからないですけれど。

 こういうことを経験して、「高層マンションに住んでも、災害が起きたら断水するので、わざわざ下の階から階段を使って持っていくとか大変だ。良い車に乗っていても、道路や橋が損傷していれば、ただの金属の塊に過ぎなくなるのか…」と、コペルニクス的転回が自分の中で起こりました。

 災害という人知を超えたものに直面してしまうと、人間は基本的に無力になるわけですが、それに直面すると考えが変わるということを実感しました。

 災害は人的物的被害が大きいですが、何かを変えるように、促すために生じる、という風に考えると、学ぶことも多いのだと思います。