自転車とパソコンと人

自転車とコンピューターを参考に、人を考えてみたいと思います。

まず、自転車についてです。

新品の自転車を取得したと考えてください。

初めのうちは、チェーンに錆が無く、スムーズに運転ができます。

しかし、時の経過とともにチェーンが酸素によって酸化したり、泥がチェーンについたりして、どんどんチェーンが錆付いてきて、自転車を漕いでも漕ぐ力が働きにくくなり、スムーズに運転ができなくなります。

その場合に、油をさして、チェーンの錆を丁寧に取ってあげると、どうなるでしょうか?

自転車を漕ぐ力がスムーズに働き、動きに無駄が無くなり、しっかりと運転できるようになります。

次に、パソコンについてです。

新品のパソコンを取得したと考えてください。

初めのうちは、プログラムのバグがなく、スムーズに動作ができています。

しかし、時間の経過とともに、なぜかプログラム上のバグは自然と発生して、きちんと、パソコンを電源につないで電気が流れているにもかかわらず、プログラムの動作が遅くなったり、エラーが頻発するようになってきます。

その場合に、プログラム上のバクを消してあげると、どうなるでしょうか?

プログラムの実行がスムーズになり、問題なく動作をするようになります。この場合、電気は、パソコンがプログラムが動作する際の根源的なエネルギーであり、バグさえなくなってしまえば、絶えず、パソコンがうまく機能するように働きかけてくれています。

最後に、についてはどうでしょうか?

病気やケガも無い、赤ちゃんが生まれたと考えてください。

健康優良児そのもので、その元気さに感心するほどです。

しかし、時間の経過とともに、人生を歩む上での、ストレスや悩み、物理的なケガ、乱れた食生活などで、心身が穢れて不調をきたしてきます。存在論的に考えると(ご興味のある方は、井筒俊彦著スーフィズムと老荘思想 上スーフィズムと老荘思想 下をお読みください)、絶えず、神仏からの慈しみ(その人がその人であるように絶えず送られているパワー、もちろん目に見えない)があるのですが、それが上手く受信できなくなると体調不良になります。

その場合に、心身の穢れを滝行などで禊をすると、どうなるでしょうか?

観念的に考えると、その人がその人であるようにと絶えず送られているパワーが、きちんと受信できるようになりますので、体調が変わってくるでしょう。ただし、ここで、留意する必要があるのは、あくまでも、その人がその人であるようにとして働くパワーなので、どのくらい変わってくるのかは、わからないということです(ただし、いただけるエネルギーは、きちんといただきたいものですね。)。

いかがだったでしょうか?

ちょっと、難しかったかもしれませんが、こんな見方とすると、世の中の見方も変わるのかなと思います。