CS60との出会いについて

 こんにちは。 

 この記事では、弊社代表がCS60をどのように知ったのか(辿り着いたのか)についてご紹介します。 

 平成28年7月から令和元年7月まで、宮崎県児湯郡高鍋町に住んでいました(餃子と海が素晴らしいところです。)。そして、当時住んでいた家の近くに「舞鶴神社」という旧高鍋城内にある神社があって、頻繁に散歩に行っていました。

 あるとき、境内を散歩していると次のような看板を見つけました。

長友勘右衛門

 長友勘右衛門は、石河内(現・木城町)に生まれた。(生没年不詳)

 ある日高鍋を訪れた勘右衛門は、畑地の多いのを見て用水施設を施設すれば水田も増えて作物の増収を図れるとともに、高鍋藩の財政も豊かになると考えた。日夜、用水路の敷設を思案していたが、良い案はうかばなかった。

 そこで藩の祈願所である比木大明神に祈願をかけようと思いたち、真心をこめ身を清めて百日間の祈願を始めた。満願の暁に、枕辺に大明神が立ち、水源地や水順路までのお告げがあった。夢からさめて実際に調べてみると、一々符号を合わせるかのようであった。

 早速、藩主(初代・秋月種長公)に、水路開削の信託を宿願成就の信念に満ちて進言した。藩主は大いにこれを賞され、勘右衛門を工場監督役につかせた。工事にあたり勘右衛門は日夜心血を注ぎ苦心の結果、慶長十七年(1612年)春、ついに水路が完成した。これが大平寺畑田井手である。

 藩主種長公は、その功績をたたえて徒士格とし、勘右衛門と名のらせ禄五十石と屋敷を与えて丁役を免除した。しかし、勘右衛門は禄の半高を受け、格は従前のどおりと願い出て御許可になったという。

 大平寺畑田水路は、今日も、地元の大平寺をはじめ高鍋一帯の田畑をやしなう大水路として大きな役割をはたしている。

 高鍋町教育委員会

長友勘右衛門君水路功績記念碑より

 最初にこれを読んだときは、単純に「長友勘右衛門という人が昔いて、高鍋の水路の建設に貢献し、それを現在も称えているんだな。」と思っていました。

 しかし、舞鶴神社に散歩に行く度にこの記念碑を読んでいると、どうも「藩の祈願所である比木大明神に祈願をかけようと思いたち、真心をこめ身を清めて百日間の祈願を始めた。満願の暁に、枕辺に大明神が立ち、水源地や水順路までのお告げがあった。夢からさめて実際に調べてみると、一々符号を合わせるかのようであった。」というところに引っ掛かり、「なんで400年以上前のことなのに、こんな作り話のようなエピソードが盛り込んであるのだろう。」と思っていました。

 さらに繰り返し散歩をしたときに読んでいると、「ある人が真心を込めて、人のため、世のために何かをしようと願っていたら、、上から降って来る情報が、その人の夢の中に具体的に現れて、方法や作り方を教えてくれることを伝えているな。」と理解するようになりました。

 私自身は、夢の中で何かを教えてもらった経験はありませんでしたが、そのうち、夢の中で教えてもらって〇〇を作ったという人と会うかもしれないから、そのときは、その人に具体的にどういう夢だったかを聞いて、自分の見解を確かめようと考えていました。

 ところで、平成30年に、これから薬が効かない病気が流行するということを、色々調べているうちに知り、とりわけ令和元年に、自分や家族などの大切な人を守るためにどうしたらようかということ深く考えていました。
究極的には、
① 人と接触を少なくするために人口密度が低いところに転居する
② 日頃から体調を整える

ということに尽きるのですが、②の体調を整えるということで何か良い方法はないかと探していました。

 そして、同時期にCS60というという興味深いものがあるという情報を得ました。

 CS60についてインターネットで調べてみると、CS60の公式ウェブサイトがあって、トップページに写真が掲載されていました。写真を見た印象として、男性がどうやら作業服を着て、陶器を制作している写真に見えました(実際は、CS60の開発者の西村光久氏(「以下、西村先生」と言います。)がCS60を用いて施術をしている写真でした。)。

 また、説明文はあったものの、抽象的で漠然としていて当時の私にはさっぱりわかりませんでした。 

 CS60の公式ウェブサイトを見てもよくわからなかったので、CS60についての動画を見たら何かわかるかもしれないと思って、検索してみました。すると、世界中の人たちにCS60の施術をする動画がアップしてあって、その中でタンザニアの人に西村先生がCS60の施術をする動画があったので見てみました。

 最初はアフリカの動物を撮影したドキュメンタリー番組かと思いましたが、そこには、CS60を無垢な気持ちで受け入れた人たちが、飛び跳ね、笑い出したという、疑いようのない事実がありました。
 
 加えて、ほかにも、世界中の人々に西村先生がCS60で施術している動画がたくさんあったので、「わざわざ海外に行って、世界中の人々に演技をしてもらっているようには見えない。CS60の施術をすると世界中の人々がどのような反応をするのかを試しているんだな。」と思いました。

 さらに情報収集をしてみると、CS60は西村先生の夢の中に出てきて、それ基にして西村先生が制作したものということがわかりました。

 普通であったら、そんなことはあるわけないと思って当然です。ただし、私は、上述したように、「ある人が真心を込めて、人のため、世のために何かをしようと願っていたら、、上から降って来る情報が、その人の夢の中に具体的に現れて、方法や作り方を教えてくれる」と諒解していますから、是非、西村先生に話を聞いてみたいと思いました。

 金銭的なことをいいますと、CS60のレンタル代とCS60の研修費、研修の申し込みをした当時’(令和元年)は鹿児島市に住んでいたので、鹿児島市から東京の青山のCS60の本部までの交通費、宿泊代等々で100万近くもかかるかことがわかっていました。正直、

「わざわざ鹿児島から東京に行って、詐欺まがいの話だったらどうしようか?」

と思った一方で、

「わざわざ鹿児島から東京に行って、100万円近く使って、挙句の果てに騙されたとしても、今後の人生ではこのような失敗は二度としないだろうから、人生経験がてら行ってみよう」

と心に決め、CS60のレンタルと研修の関係で鹿児島から東京に行くことにしました。

 CS60の申し込みをして、その後、東京の青山のCS60の本部で西村先生に会ったときに、夢の中の話を聞くと、「小さい頃から、作りたいものが夢に出てきた。他の人も作りたいものが夢に出てくるのだと思っていた。作りたいものを思いながら寝ると夢にはっきりと出てきて、表裏隅々まで見える。」と仰っていました。

 そのとき、「やっぱりそうなんだな」と、私は鳥肌を立てていました。

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 時は流れて、これを執筆しているのは令和5年8月18日ですが、私の所感を率直に申し上げれば、

「CS60と出会えて良かった」

「CS60が日本中、いや世界中に健全な形で広まってほしい」

「CS60がゆっくりでもいいので広まると、世の中が良い方向に変わっていく」

と考えています。

※ CS60について、「Q&A」もありますので、是非ご覧ください!